2005-08-12

手紙

おじさんから妹であるおかんにむけてFAXが送られてきました。
もうすぐ命日でもある(弟へ。21日だかんな。)おばあちゃんが戦後50年に子供達に向けて書いた手紙でした。

3.13 50年を思う
 思い起こせば、3月13日 早くも50年になります 早いものですね!
あの梅南の家から出て、南の方北の方見れば火の海 ほんとうにぞお∼っとしましたね。
今思い出しても怖かったですね。
 13日の夜中 さあ∼どちらを向いて歩けばいいのか分からず、何度も家で話したように、阿倍野の墓やと思い東へ東へと向いて歩きかけました。
子供四人 内 一人背に負い 紀恵もまだ五歳でしたね、後ろからも前からも焼夷弾が落ちそのたびに、頭五つそろえて地べたにしゃがみましたね、 子供一人一人に小さい小ブトンをのせ頭には、防空ずきんで火花がとんでくるのを、ふるい ふるいながら、持っている非常袋を何度も捨てようかと思いました。
 子供達に「私のそばから絶対に離れるなよ!死ぬ時は皆一緒だよ!」と何度も何度も言い返したお陰で、みんなよく私から離れず 博司(十一歳)も一番大きかったので弟や妹をよく見てやってくれました。
やれやれ墓についたのは。朝方でした 墓の上から見ると私達の家は、どこにあったのか分りません、すっかり焼けてしまって何もありません まるでトンドの後のようでした。 さあ∼これからどうしたらいいのか分からず涙、涙で子供達をどうして、これから大きくするのかと、子供の姿を見て可哀想でなりませんでした。
 けれども今日 お陰様で子供達は、皆達者で、それぞれの仕事について一人前に成ってくれましたので又、世間様から「ええ子持ちやねー」と言われます その度に、よく育ってくれたと感謝しています 之も主人のお陰ですね!!
[博司11歳 隆俊8歳 紀恵5歳 邦廣2歳]

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