2005-07-06

6/25〜7/2 Poland

 ポーランドに来ました。
ポーランドに来てみると、デュッセルドルフが企業の街だったのだと思わされました。ポーランドの建物は、一見するとヨーロッパというくくりに入れることができそうな感じでドイツと似ているのですが何かが違います。決して綺麗にしているとはいえない少しはがれたところが残っている壁(けれどその古さが厳かで美しい)、ハサード、街に漂う雰囲気。人々の感じ。はしゃいだ感じはなく(といって暗いわけでなくどことなくつつましい感じ)全てがどこか違うのです。東ベルリンで感じた何かです。あぁ。共産圏なのだな。東だな。カトリックだな。と思わされるところが節々にあります。
 そして。
 私の目が今は旅行者の目になっていることも感じます。初めてドイツに着いたときには、そこに、非日常を感じている場合ではないという思い(焦りのような)が私の視覚と脳をこんがらがらせていたのでしょうか。今は、ここには1週間の旅行だという思いがあるせいか観ている物に違和感を感じず、目新しい物へ感動したりしています。悪い言い方をすれば第3者の目、他人事の目で物をみているのです。ココニワタシノニチジョウセイカツハ(イマハ)ナイ。ワタシハヨソモノダ。といった様な。私が観光地や旅行が苦手なのはこういう思いを常にどこかで感じているからかもしれません。旅行は今まで準備が面倒だったりお金がなかったりで全然しませんでしたが今回、旅行もいいものだと思いました。反面、今までそんなこと考えたこともなかったけれども、旅行ってなんなんだろう?なんの為に短い期間で旅行するのだろう?って思ってもいます。ひねくれていますね。






マルタとヤン


大雨と雷


やたら飛行機にくいついていた
でかい大人達


ワルシャワ駅の前


ワルシャワ駅構内


切符販売窓口と時刻表


これに乗るぞと


トメック家からの眺め


京都の人力車みたいな感じで


パレードしてた
室さん!アーセナル!


トメックとあきさん


バレエ学校の眺めが美しくて


牛乳パックがかわいい


ミハウ君とカミルさん


共産圏を象徴するかのビル


ミサ中


ポーランドの街


鶏肉がっつり


風俗街


建物の裏に轢かれる


信号機は丸いでか頭


民族衣装


ピョートルさんは手前




6/25 sobota


 早朝バタバタと適当に最終片づけを。思いの外荷物がかさばって(ほりこんでるだけやしな)スーツケースが閉まらない。何をいれとんねん。と思いつつとりあえずなんとかおさめる。私、旅行慣れしてないな。ほんまに。
 ゴミを捨て、立つ鳥跡を濁さずで慌ただしく駅へ向かう。駅で切符を買っているとマルタとヤンも到着。2人はお見送りに来てくれたのだ。3人でコーヒーを飲みながらマルタにポーランドでの切符の買い方などを教えてもらう。空港からワルシャワ駅までのバスでの行き方も教えてくれた。が、その時に2人から「くれぐれも荷物には気をつけて!このバスは旅行者がよく利用するから特に狙われているの!」とアドバイス。ポーランド人のマルタにそんな強く言われたらそうでなくても不安なのに(マーラさんからもポーランドでの怖い経験を聞いていた)よけいに不安になるよ。そんなこんなしていると雨が降ってきた。マルタが「雨が降ってきたわ。ヒザコ、ここに残った方がいいって空も言ってるわよ。」と冗談を言う。
 1時間位でカフェを出てスタンドでチャバタを買って食べる。9:58のkobrenz行きに乗り2人とお別れ。10月からマルタはワルシャワへ。ヤンは間もなく学生寮を出て一人暮らしを。来年の5月以降は一緒に住む事を計画中らしい。
 車内で最後のドイツからの手紙を書いたりしてケルンの空港に到着。空港でも時間があったので手紙を書き上げ、チェックイン。出国スタンプをどこでもらえるかきちんと確認して(このスタンプが私にとってとても重要。ポーランド(シェンゲン未加盟国)に何日間出ていたという証明を絶対とっておかないと後々やっかいなことになりかねないので)搭乗手続き待ち。そうこうしていると、ものすごい雷が鳴り渡り、大雨になった。嵐だ。お陰ですべてのフライトが少しずつ遅れはじめた。天気がころころ変わるのにはもう慣れたのでなにも考えず待っている。待合室のベンチでしばらく眠り、その後、出国審査を受ける。無事スタンプゲットしまた搭乗待ち。私のフライトは13:50の予定だったけれども結局1時間半遅れの15:20発になった。雨はあがったみたい。
 なんのことなく飛行機は出発し、16:30位に空港到着。あっさりと入国審査を通り抜け、スーツケースが出てくる迄の間ズウォティに両替。100ユーロが360ズウォティにチェンジ。スーツケースをゲットし、小銭をためるべく水を購入。ワルシャワ空港から駅までタクシーで行くといいとアキさんに言われていたけれどタクシーが全くみあたらないのでマルタに教えてもらったとおり175番のバスで駅まで向かうことにする。
 停留所の看板をみるけれどもまたわけのわからない文字が出てきたり。ドイツの時と違って辞書もないのでさっぱりわからない。まぁなんとかなるやろうと思いながらとりあえずバスに乗り込む。バスの中で切符を買おうとしたけれど英語が通じない。マルタに書いてもらった紙をみせ、手で四角をつくって「チケットチケット」と言うと通じた。ほ。ワルシャワの駅に着いて、マルタの指示通りの道を行きセントラルの駅へ。18:00。18:25のICがあったのであれに乗ろうかなと窓口に並ぶ。んがしかし、窓口激混み。な18:25には間に合いそうにない。時刻表にはその次の19:25の表示もあったのでそれに乗ろうと思う。窓口のおばさんにあきさんに言われた様にカタカナポーランド語で「poznani行きの切符を下さい」と言ってみるけど案の定通じないのでマルタの書いてくれた紙に、乗りたい電車の時刻を書いて渡す。おばさん、ものごっつ怪訝な顔をして紙をみて、一言「19:25の電車はない。」というような事を言った。「?」ってなっていると「22:50」と書いた紙を渡された。朝にマルタに「2番目に速くて値段もそこまで高くない電車でもpoznani迄は3時間はかかるよ」と言われていたのを思い出し何時に到着するのか聞いてみたけど通じるわけもなく。途方に暮れる。とりあえずトメックに電話して事情を説明するとトメック曰くネットで調べる限り19:25があるはず。携帯から電話してきてるならインフォメーションの人と自分が話すからインフォメーションの人に携帯を渡してもう一回電話してきて。と言う。インフォに行っていざ自分の順番が来ると、窓口はおよそ携帯なんて入るはずのない、お金が通るくらいの隙間しかあいていない。仕方がないのでここでもまた紙を見せる。「poznani。today」時刻を調べてくれたけれどやはり22:50しかない。ちなみに到着は26:37。これしかないので仕方ない。あきらめる。トメックに電話してやはりこの電車でそちらに行きます。深夜にごめんなさい。と報告する。
「少し遅かったみたい。今日のラストのICはほんの10分前に出たよ」
「それはわかってたけど窓口が混んでて切符が買えなかった」
「そんな時は電車に乗り込んで車内で切符を買えばよかったのに」
と言われてがっかりする。ひょっとしたら可能かともなんとなく自分でも思っていただけに。頑張って誰かに聞けばよかった。面倒くさがりの自分に悔しい思い。
 それにしてもワルシャワ。首都のメインステーションの割に切符の自販機がない。窓口も並んで何分も待っていたのにいきなり目の前で「はい。ココは今から休憩するから他の窓口に行って」と言われる。そうなるとまた一から他の窓口に並ばないといけない。すごい時間の無駄。ドイツである程度慣れていると思っていたが今日はかなり辛い。結果、電車に乗るまで駅で3時間半待ち。電車に乗ってもそこから約4時間。寝台車でもなく、スーツケースと、PC2台、カメラ、ビール(←これは持たなくてもいいものですが)1リットル、その他諸々の入っているくそ重たいバックパック抱えて。しかも寝てないから眠気がしょっちゅう襲ってくるし(←自分が悪い)。そうでなくても危ないと言われる電車に夜中にこんな荷物で乗り込むなんてすごく嫌。ドイツに帰りたい(なんで日本やないんや)と泣きそうになる。気が遠くなりつつ、しかしながらそんな状態でも食いしん坊のお腹はちゃっかりと空きやがるので売店でサンドイッチ買って食べながら、駅のベンチでぼさーっと時間をつぶす。
 時間が経つにつれてあぶない人が増えてきた。お金をねだる人とか。警察も増えてきた。でも土曜なので、週末旅行に行く普通の爽やかな人も結構いてなんとなく安心。スーツケースに足載せて、バックパックとポーチかかえてぼんやり座りつつ不覚にも途中でうつらうつら寝たりする。今思えば結構危険。でもたぶんこの時の私は寝てない顔と不機嫌なのですごく恐ろしい風貌をしていたと自分でも思う。誰も怪しい人は近づいてこなかった。
 そんな中で気を張りながらもたまにうとうとと寝たりして、 何をするわけでなく3時間半過ごし、いよいよホームに向かう。
 ドイツでは電車の遅れなんてざらだったけれど3台ほど定刻に着いたので私も22:50の定刻の電車に乗る。 2等車に乗り込むと座席は部屋の様にしきられている。細い通路を通り、開いている部屋に入る。向かい合わせで4人がけの椅子が二つずつある。おじさん2人との3人部屋になる。
 ワルシャワの駅を出ると、夜の町並みが。ほとんど灯りはなく、暗い。もう少し明るい時間にみたかったなと思う。 ここまでくるともう何でもいいやと言う肝が据わった状態になってきた。これもネタになるしおいしいな。なんにせよ無事ponaniに着けば万々歳なのだ。 にしてもpoznaniは終点というわけでもないので眠るに眠れない。これから4時間。暇だ。
-------といいつつ、隣の2人がゆっくりと静かなおしゃべりとしているのをBGMに結構眠る。何分かおきに目が覚める。30分ないしは1時間おきに駅らしいものにつくがアナウンスは当然なく、駅表示も暗くてわかりずらい。隣のおじさんもpozanniで降りるらしいし、今まで定刻通りに電車がとまっているので(停車駅の時刻をメモしておいた)なんとなく安心して乗る。
 2時辺りを過ぎたころからまわりもざわざわしだして、いよいよpoznaniに近いことを知る。poznaniに近づくと今までと違って駅の周りにも灯りが灯っている。 定刻どおり2:37.電車が止まった。 おじさんに「poznani?」と尋ねるとそうだよ。と教えてくれた。おじさんがスーツケースをおろすのを手伝ってくれた。
 ホームで迎えに来てくれていたトメックと無事会えて やっと安心する。3時ごろお家に到着。 温かいお茶を戴いて安心して眠る。長い長い一日だった。

6/26


 お昼頃起きる。トメックとアキさんに街に連れて行ってもらう。アキさんは今日は日本語学校のテストの日。生徒の出来が悪くて追試をしなきゃいけない。とほほと嘆いていた。アキさん、昨日ほとんど寝ずに仕事したはったのでとても眠そうだった。街から帰ってきて、トメックは教会に日曜日のミサの為にお出かけ。アキさんは爆睡。遠くで犬がしこたま吠えている。そういえば、ドイツでこんな風に犬が遠吠えしているのを聞いた記憶がない。なんとなく日本の夕暮れに似た感覚を覚えつつそんなこんなで現在時刻は21:30。日はやっと傾きだした。


6/27


 ガッツリ寝ておりお昼頃トメックに起こされる。2人は小一時間ほどお出かけ。日記を書いたり本を読んだりしながら待つ。アキさんが帰ってきて、お昼過ぎに街へ。SHOPPINGゾーンを少し見てギャラリーへ。展示予定の場所をみせてもらう。天井に窓のあるだだっ広い空間。大丈夫かな・・・・・
 その後アキさんの日本語の授業にお邪魔。本日の生徒はミハウ君とカミルさん。ミハウ君は大学でテクノロジーを学んでいる。カミルさんはグラフィックデザインの仕事をしている忍者好き。まずは2人は今までの成果として日本語で私に自己紹介。その後文法の「〜したい」の授業へ。私にとってhポーランド語の授業にもなる。
覚えた言葉
jestem g^lodna おなか が すきました

spdaj na drezewo 出て行け

naprawde(eの下になんかくっついてる変な文字) まじで!?

 授業の後、4人で街でビールを飲む。ミハウ君が、犬はみんな同じように鳴くのに国によって鳴き音が違うのがおもしろいねと言っていたのが印象的。帰ってからはアキさんの日本語テストの採点を手伝ったりした


6/28


 昨日採点したテストを返却に大学へ。なんとなくついていったけれど、追試を言い渡された女の子がとってもがっくりしていていたたまれない空気になっていた。その後街へ出てピザを食べる。トメックお気に入りのピザ屋さんだったらしく、食べ終わってから電話すると「今からいくから待ってて!」って言ってたらしい。一向にこないので先に出て街で会おうという事になったけれど、街で会ったトメックは不機嫌だった。トメックに会う前に教会を2つ回る。1つ目では丁度ミサの最中だった。私はなんの信仰心もないのでとても恐縮したけれどもとても厳粛で厳かで静かで美しい時間だった。子供も必死にお祈りしていた。その後トメックとお茶して、映画でもみようと映画館へ。でも始まる時間が遅かったのでさくっとビリヤードに変更。2人ともめちゃくちゃうまかった。帰ってからテレビで「グッドモーニングベトナム」がやっていたのでみていたのですが、ポーランドのテレビは吹き替えは全て一人の人で済まされています。女の声も男の人。男の声も男の人。子供の声も同じ人。なにがなんだかわからんけどこっちではそういうもんだそうです。


6/29


 トメックとドライブ。前ローマ法王はポーランド人だったので、彼が亡くなった時は、彼の名前がついた道路にろうそくをみんなが立てたらしい。その様がいかに美しかったか、そして彼の死がポーランド人にとってどんなに悲しい出来事だったかをトメックが教えてくれた。そうこうしているうちに、FORDの会社へ。トメックの作品を購入したらしい。ほんとは私の作品がポーランドに着いたときに、このFORDに勤めているトメックのお友達がすごく作品を気に入ってくれて、会社で買いたい!と言ってくれていて、少し話をすすめていたのだけれども、けっきょくは上の人がポーランド人の油絵を買う方向に持っていったらしく私の作品は購入してもらえなかった。残念。その後トメックは打ち合わせのためとあるオフィスに。ビルの10階にあるオフィスだったので上からポーランドの街を一望する。お昼は鶏肉半分をがっつりと。
 家に帰ってから街の風景を見学しがてらあきさんと散歩。散歩しながらふと何かのストレスをためている自分に気がつく。たいしたことではない。


6/30


 明日からの展覧会にむけて本日搬入。しかしながら8時迄は学生さんが先生への作品審査の為にギャラリーを使用しているのでそれ以降。壁を塗り直したりなんだかんだで2時前まで頑張ったけど終わらず。明日に持ち越し


7/1


 朝から搬入開始。4時頃終わって一旦家に帰ってきてお風呂に入る。18時からオープニング。宣伝が遅かったけど結構人が来てくれてよかったとアキさんが言っていた。学生さんがえらく作品を気に入ってくれた。お腹がすいたのでギャラリーの下のレストランでご飯を。ギャラリーを手伝ってくれているというハーニャと彼のロマン、アニャと彼のマーティン。4人はモデルみたい。でももんのすごいおもしろい若者であった。帰りにビデオ屋で「KILL BILL 1」を借りてみる。別にそんなに無理して日本語使わんでもええやん。ってシーンがあって笑けた。こっちのキルビルは片仮名だったのですが日本も片仮名だったっけか?


7/2


 昨日ギャラリーに来てくれた学生さんが展覧会をしていると言うので民族博物館らしきところへ。下の階ではポーランドの伝統衣装などが飾ってあった。レース使いがもんのすごくかわいい。写真を撮っていると「写真を撮ったら撮った枚数分お金を払わないといけない」と言われて驚いた。その後ナショナルミュージアムへ。やったらめったらコレクションがあって疲れた。キリストの像がたくさん展示された部屋があったのだけれども、どうも私はこのキリストの像が苦手みたい。貧血起こしそうになる。教会でも建物の美しさには感動したのだけれどキリスト像には感動と寒気が襲ってきた。なんや?私。悪魔やったんやろか?
 その後デパートでトメックと合流。トメックはエレガンットでカジュアアッルなシャツを探していた。なんと2人にキャミソをプウレゼントしてもらった。かたじけない(帰ってからうれしくってすぐに着たら少し小さかった。ちょいとヨーロッパ太りしているので痩せないといかんな)
 で、今日はトメックのお兄さんの名前の日。
ポーランドには名前の日なるものがあって、それはポーランド人の名前はすべて聖人の名前からとっているからその聖人の日を名前の日としてお祝いするそうです。今日はお兄さんのピョートルさんの名前の日なのでピョートルさんがみんなを招待する日。私も一緒に連れて行ってくれました。お母さんとお母さんの妹さん。トメックのお兄さん夫婦、真ん中のお兄さんの奥さん、いとこの夫婦、たくさんの親戚が集まってました。みんなとてもきさくで楽しい人でとても好きになりました。そんなこんなでいよいよ明日は今回最後の国、フランスへ旅立ちます。

[Deutschland]

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